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自殺者三万人超の実相

斎藤貴男:『強いられる死 自殺者三万人超の実相』



この本を何度も読んでいます。
三万人超の自殺者の分析です。
ノンフィクションで、知っている案件もあります。
迫真に迫るレポートです。
自殺の危険は実に身近なものです。
労働者だけでなく、経営者も同じ人間であり、自殺は社会システムとして組み込まれています。
決して自分は大丈夫などと考えてはいけません。


それと同時に人口統計による将来の日本の予測を書いた貴重な論文も手にすることができました。

それによると日本の財政破綻は避けてとおれない
女性の出生率も今のままの危機的状況では、将来の労働人口も見込みがない。
移民を仮に1,000万人うけいれたとしても、国民年金さえも、また生活保護の支給できる財源も確保できない。消費税アップしたところで、処方箋にはならない。
近未来に数万人は餓死するのではないかという予想です。

将来おこるであろう危機的状況に陥る前に、命を含めセーフティネット作りが必要です。

寸足らずの記述ですが、時間があれば、この内容は掘り下げてしっかりブログ化していこうと思います。
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小野田 寛郎さんの話

大崎上島とはまったく関係のない話です。
個人の趣味の話です。
スルーしてください。


居場所がない日々



 羽田空港に帰還したとき、やはり祖国は安心できる場所であるという安堵感を覚えました。しかし、感じたことはそれだけではありませんでした。

 帰国直後に約二十日間の強制入院をさせられたのですが、その間に政府の建前と本音の落差に気がつきました。

 同時に、社会の反響をみていると、自分の持つ考えがすでに世の中に受け入れられてないこともわかりました。

大学生のアンケートで自衛隊を認める人が二十五パーセンくらいしかおらず、かっての聖戦と煽っていた新聞が、「侵略戦争だった」と書いていることを知り愕然としました。

 私はそういった世相の変化を「ハイ、そうですか」と受け入れることは、死んでもできませんでした。

それを認めることは、仲間を失いながら戦い続けた三十年の過去を恥じて改めろと強制されているに等しかったからです。同じ思いで戦って散った二人のためにも、譲ることはできませでした。

 だが一方で、誰かにあえて自分の考えに同調してほしくないとも思いました。
それによって私と同じ思想的異端者と見られて、迷惑をかけると思ったからです。
 私の感じた政府の方針との落差を具体的に述べます。

退院後の行動スケジュールには、空港でのインタビューで私が発表した「まず戦友の墓参りをする」という項目が健康を理由に外されて、その代わりに千鳥ヶ淵参りが加えられていました。

でも、もしそれに従ったら私の口約違反を世間は嘲笑うに違いありません。
私は靖国神社にお参りすれば、千鳥ヶ淵は必要ないと主張しました。

 そもそも、静養のための入院と発表されましたが、実は後日の発病に対して、「戦争後遺症」か否かを証明するための検査でした。私自身は入院の必要などまったく感じていなかったのです。

そして、その挙句に四時間の自動車旅行に耐えられないという理由で、墓参りがカットされていたのです。
 それから投降した兵士を連れてきて、「妻子もあり社会で働いている事を考慮して、『脱走兵』ときめつけず、彼のルバングでのことを追及しないでやってほしい」といわれました。

 さらに、私の兄を通して「三十年間の保障を国に請求しないように説得してほしい」と言われました。
おそるおそるそのことを告げる兄に向かって私は、
「みんなあの時は生きて帰れば有難いといって出かけました。

生きて帰れたのだから、何の不服もありません。請求したら戦死した仲間が化けて出られます。」
そう言って安心させましたが、兄は生涯このときのことを気にしていました。

入院中には、お見舞いのお金をさまざまな方から頂きました。政府の「静養」の発表によって、同情していただくことになったのでしょう。

入院してからは隔日に太い注射器で採血され、少しフラツキ始めているのに、大勢のマスコミを集めて閣僚からのお見舞金を授与されました。続いてマスコミの質問です。
「現在の金の価値がわかりますか」
までは良かったのですが、「何に使われますか」と聞かれて内心、不愉快を覚えながら、こう答えました。

「生きて帰ってきた私が頂くべき筋合いの金ではない。報道のお陰で方々から頂いているので全額、靖国神社に納めいたします。聞く所によると国がお守りしておらずご不自由のようですから」

 それが戦場で仲間を失った者の自然の心情だと思ったのですが、戦後の日本ではどうやら間違っていたらしいのです。「平和を守る活動へ拠出すべし」「軍国主義復活に加担するな」「贈ってくれた方の主旨に反する」と言われてしまいました。

 売ってもいないのに、買われた喧嘩。買ってもいないのに売られた喧嘩。---その頃の私は、日々そんな思いにとらわれながら生きていました。

喧嘩など戦場で三十年も命をかけてやってきても一銭の収入にもならないので、懲りているのです。

やっと平和な祖国に帰ったと思ったら、まだ喧嘩をしなくてはならないのか。そう思うと、暗澹≪あんたん≫たる思いでした。

 ここには、自分の居場所がないなと感じ、虚脱状態で日々を過ごしました。マスコミの取材攻勢にもさらされて、人間不信にも陥りそうでした。






年の瀬


圧縮してバックアップしたいた、ヤフーの掲示版にのせていた
・大崎上島 明日を考える♪♪2002/10/ 9 ~2003/ 8/26 メッセージ: 753
それと、一緒にメルマガも解凍して、貴重な部分だけ飛ばし飛ばしして目をとおしてみた。

ヤフーの掲示版は、当時議員をされていた人2名、それと地元に縁のある方数名の方が登場して書き込みをしてくれていた貴重な掲示版だ。

あれから、はやいもので、8年目を迎えようとしている
四年前に、十数年ぶりに正月を田舎で迎えることができた。
11月末に、腹膜炎が原因で緊急入院することになり急遽ICUに入れられ、2週間入院した年だ。
私のケースは医者に言わせると危ない状態だったそうだ。
危ない状態でも、前日まで風邪と錯覚しており、ランニングを8キロしていたので、悪い症状がどんどんわるくなってしまった。アホである。
治療には、切開して縫い直すか、食事をとらず抗生物質、点滴で経過観察をして治癒するか2つの方法があったが、切開の場合だと入院に時間がかかるため仕事のことを考えると、速く終わらしたいと思い後者をお願いした。
退院しても経過を見ながらの通院だから、抗生物質を飲むことにより体が硬くなったり、下腹部に痛みがはしったりして体力がなくなるため、安眠できることが最大の喜びだった。
また、病気に関する感染症、ガンなどの不安もあり色々な知識・経験がもてた。

しかし、これが最後になるかもしれないと思いで帰省した正月に言われた言葉は、
「君を知っている人はもういないだろう?」ということだった。

正月に滞在した、3日間は、こんな静かで、厳粛な時間があるのだろうか?時間の流れが、自分の人生の中で一番ながく感じることができた。

また、その後、お盆にも帰省することができ、大串と東野の祭りを初めて堪能することができた。
本当に、故郷とは、豊かな場所だなと感謝すると伴に誇れる場所であると実感した。

やはり人と人とのリレーションシップ、地域の絆がなければ、魂は宿らない。

幼少期に島で暮らし転勤していった人、
今は家もなくなり関係もなくなった人、
島で暮らしたくても仕事がないため遠くに住んでいる人、

こんな人達は、たくさんいるだろう。
もっとオープンな場所になれば多くの人が恩恵を受けることができるのにと思う。

大崎上島 明日を考える♪♪にある753のメッセージを読むと、真剣な意見がたくさんあがっている。
こういった意見に無関心を装うのは、寂しいことだ。

八年前のメッセージはまだ生きている。

永続して欲しい島、斎島

実は、今日忍者ブログのデータが、サーバーが重くなり一時保存していた内容も、復旧した際に確認すると、全部吹っ飛んでいました。

関連があるので斎島のことを、取りあげます。

忘れて欲しくない島、斎島です。




6年間に一人きりの生徒は〝林家小福〟

シベリアからのアビが渡ってくる海面を、クラッシックな同栄丸は悠々として斎島に着く。

古くから心霊の宿る島として、海人の信仰を集めていた斎島は、四国愛媛と中国広島の中ほどの斎灘にポツンとあって、その重要さを偲ばせる。歴史ある斎島が、最近の時勢の動きにそのポツンがむしろ取り残されたような淋しささえ感じさせる。

それは、裏をかえせば、斎島こそ貴重な「まほろば」なのかも知れない。

四十七世帯七十一人、一集落に立派な蛭児神社と大願寺があるが、もうひとつの永く後の世までそのまま保存したい貴重なものがある。

しかし、それはこの本が出版される頃、(平成7年)、残念ながら取り壊されてしまう。
この学校の最後の卒業生となったのは、@@@さんで、またの名前を〝林家小福〟という。
最初の時は、(平成元年)は一年生が一人だけの学校とは知らずに訪れた。
小学校に立ち寄ったら、学校には校長先生が一人だけ。

たった一人の一年生はその日、集合指導のため、担任の女先生と一緒に大崎下島の大浜小学校に出かけていた。

あどけなく愛くるしい@@@ちゃん、一人だが充実した斎島小学校、アビのくる斎島の人々の生活。花いっぱいのきれいな、昔なつかしい校舎にメタセコイヤ、イチョウが一層、学校を引き立てていた。
卒業する前の晩秋(平成6年11月)私はその子と斎島小学校の教室で会った。

ずーっと一人でとおした@@@さんに敬意を表し、残念ながら卒業によってすべての幕がひかれる斎島小学校に、別れを告げることを充分意識しての島渡りだった。

校長先生はaaa先生、@@@さんの担任はLLL先生、養護教論のKKK先生、用務員のSSSさん、それは、@@@さんのお母さん。
6年生の@@@さんを含めてすべて女性の美しい学校だ。

aaa校長先生から、@@さんが6年間一人でがんばったこと、
学校が廃校になることが、確実になったことなど話を伺ったり、一年生の時お訪ねしたことのあることを話したら、特別なはからいで@@@さんの教室で@@@さんと私二人だけで話をする機会をつくってくれた。

「@@@さん 一年生の時、この学校に来たんですが、」
「大浜小学校に集合指導で行った日でした。残念だったけど、廊下の絵や作文 見せてもらいました。」
「一人だけど、先生方がいい先生で、それに大浜小で集合指導や運動会で友達がいっぱいいたし・・・」
「@@@さんがこの3月に卒業すると、このいい学校も廃校になってしまうんですね。老人会の方々に上手な落語をやって慰問していましたね。「担任の女の先生が、この学校の一つの部屋で老人会がよくあるので島の先輩のおじいちゃんに何かして喜んばしてあげようかということになって。 〝林家小福〟の名もそのために先生がつくってくれたんです。
一年生から6年生まで一人という境遇は寂しいはずなのに、少しもそんなことを感じさせずに、反対にまわりを慰めてしまう@@@さんの温かいパワーには脱帽。

斎島小学校の校門に立ち、もう見られなくなる校舎、校庭、それに木々や美しい花を見る。
文化の歴史、文化灯台の光を与え続けてきた、明治13年から輝かしい学校に、別れを最敬礼した。
最後の校長先生や、先生方、@@さんのお母さん、そして6年間一人で立派に学校の主であった〝林家小福〟さんに栄光あれと会釈して門を出た。




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「小さい島の分校めぐり」から


花と緑に 囲まれた
私たちの 斎小
とても小さな 学校だけど
明るい声が こだまする


斎島の文化灯台の光が消えた。

斎小が「斎島」と題した廃校誌を世に残すと、すぐに豊浜町はあの校舎を取り壊して、文字通り廃校に。

平成8年6月1日 、4億数千万円をかけて「あびの里」斎が校舎跡地に建て替えられた。



インターネットを使って人と地域を結びつかそうと、挑戦されていのたが、豊浜町ホームページのKさんだった。

O高校の2上の先輩にあたる。
1999年からだと思うが、地域のポータルサイトとして、豊浜町の公式ページ以上の役割を果たし続けている。

Kさんには、先輩として今まで、色々な協力をして頂いてきた。
ボイスブログをしていた時に、 斎島の夏に行われるライブの演奏をファイルで送信して頂いたり、貴重な情報、落ち込んでいる時には励ましてくれたりもした。

どちらかといえば、個人サイトは、管理人の趣味、無意識のうちに宣伝になったり、公益性にたえうるポリシーを維持できないのが、必然であるが、豊浜町ホームページは首尾一貫して、公益性に徹しているのは凄いことだ。

絶対的人口をベースとしてアクセス至上主義、多勢に無勢ばかりが、ネットの利用法ではない。
小さなエリアでも人と人を結びつけることのできる大切なツールなんだということを教えてくれた。

斎のことに関しはリンク紹介させて頂いている島の図書館―離島文献情報サイトの管理人さんも、訪れていたり、学校関連では、大崎上島から何人か教員として赴任していた。

過去の動画にも、小学校時代の校長が映っていたり、もしかすると林家小福さんの担任の先生も知っている人である可能性が高い。

サンフレッチェ広島の社長の親友が、斎出身、高校の先輩でもあり今は亡き故人である先輩のNさんの親友だったりと、人と人との結びつきとは、不思議なものだ。


何度も書いてきたけれど。地域と人との関わり合いを考えると、
「豊かさとはなんなんだろうか?」
と疑問に思う。

橋や道路など過疎地域にも津々浦々でき、そのことが、便利になり豊になり人が増えることに結びつけばいいのだが、地域は逆に過疎となり、道路の通行量も減り、負債として維持費が借金にかわり後生に積み残しつづけるおかしな日本の風景が多い。


個性とはほど遠い世界
記号化された食べ物や、建物、ファッション、生き方、
画一化された日本は、楽しいとは思えない。

ジャンクフードが世の中に氾濫している、そんな人生はつまらない。

豊かな日本はどこにあるのだろうか。
できることなら、故郷はいつまでたっても変わらない故郷であって欲しい。

ヨーロッパなど、古い町並みは沢山残っているし、今も使い続けている。
日本では、建築基準法の影響で、耐震性が木造建築にないものと決めつけ、新しい鉄筋コンクリートの建物に浸食されていった。

愚かなことだ。

そういったことは、建築の専門である八濱漂泊傳さんが書いてくると思うので期待して待とうと思います。

Googleストリートビュー

Googleストリートビューに関することで話題が最近多くありませんか?

というのも、地図情報 特にGoogleストリートビューの画像更新が、今まで両面通行の道路をメインに撮影していましたが、今回は一方通行の道路にも、撮影車をいれてデーター更新しています。

改札、人物、車のナンバーなどは彼等のいう個人情報に当たる部分はスクリーンが張られますが、それに該当しないと、容赦なく撮影されます。

また不適切な情報は、「サイトで報告してください。」ということですが、許可もなく一方的に、知らない第三者に情報を閲覧できる状態のまま、被害届を出せというのは、放置を容認することにもなり手続きの上からもおかしいです。

日本では、最近の免許証は個人情報保護法から本籍も隠すぐらい、おかしなところでは、異常に神経を使いますが、それでは、このストリートビューはどうなのでしょうか?


ある学校の生徒が、自宅の住所を名簿に載せたため、その住所をみた違う学校の生徒が、「お前の家知ってんぞ!」などの会話が日常会話で起きています。

Googleマップで住所を打ち込み、Googleストリートビューを使えば、住宅環境から、自宅の自転車の数まで、ぼけた改札の中に、個人所有の物と特定される証拠が有難いことにみることができます。

個人の資産調査、家の状態、車の有無、坪数なども、全て把握できます。
興信所を使わなくても、ネットのつながっている環境だと世界中からアクセス可能です。

便利をとおりこしこして、行きすぎだと思います。
観光地、商業地など調べる範囲ではOKですが、住宅地にまで浸食されるのはNOです。
むしろ不愉快です。



また撮影をかねて、周辺のネット接続環境も採取しているという噂もあります。

政治家のみなさんもTwitterを使って自己アピールには、余念がありませんが、眼前のこの実態をどうお考えなのでしょうか?

これらの画像は、個人は当然として、国の権益の保護の部分もかぶさっていると思います。

黒船、横文字にはめっぽう弱い日本の社会風土ですが、社会問題として顕在化しないうちに制限をかけるのも、仕事だと思います。





寒い日 到来

身近にみる日本経済は、一向に景気も改善せず、一部の大手のみが忙しく下請けにまで仕事が回ってこない状態が続いている。

気のせいか物騒な事件が起きるのも年末である。

それはさておき、本題に入る。

先日、実家に電話で話をすると、病院でF先生の奥さんと娘さんと偶然出会ったそうだ。
夏に帰省したおり、生野島にいったことを話すと、いたく感動されたそうだ。
是非来て下さいとの有難い言葉を戴いた。

できることなら、大崎上島と同様、是非、先生が書かれた生野島の歴史の本を電子化できるよう努力したい。
一冊の本を作ることは、大変な努力と地域の多くの人の協力なくして完成はしない。
また、そういった埋もれた本が島にはある。
本の種類は郷土史だけれど、メッセージは「地域に誇りを持て」ということだと思う。

しかし、調べるための資料が図書館でも蔵書がないため苦労している。
本来なら地元の有志の方に賛同してもらえるのがベストだと前々から、思っているが、ここ十年間は前に進まなかった。

今年になって、「旅する櫂伝馬の歴史的な偉業」のおかげで、島の海洋文化、歴史、現状を再認識することとなり、テレビ、ネットなど媒体に取りあげられ、地元の方、またそうでない多くの人に関心をもってもらえる機会が増えた。


そういったこともあり、「大崎上島備忘録」は徐々にではあるけれど、アクセスが増え今まで巡り会うことの出来なかった人達に意見を頂いたりブログをきっかけとして交流ができるようになった。


「記録に残す作業」の重要さは、増してくるだろう。
微力だけれど、地域の理解と愛着を持つきっかけになれば、幸いだ。




モバイルフォンの活用

モバイルフォンが日本でも今年はブレークした年なので定着するのは時間の問題だろう。
これら小型PCといっていいツールを使うと、観光マップとも連動でき、ピンポイントで現在の宿、食べ物、交通情報など、載せることができる。
音声案内も可能だろう。
また、お手軽な方法としては観光案合ファイルをダウンロードして使ってもらう方法が簡単かもしれない。

ただ、こういった下地作りは、大手観光地ならまだしも、小さな島では、作る人がいないと、前には進まないだろう。

現実には、作成はあまり難しいことではないので、速く成功事例を誰か作って欲しいと思います。

島の寂れたメインストリートに、少なからず人が戻ってくることのきっかけになればと思います。





海賊イノシシ、島泣かす 瀬戸内海、泳いで移動か

2010年12月4日21時9分 朝日新聞

瀬戸内海の島々に近年、イノシシが海を泳いで渡り、海賊のように荒らし回っている。ミカンの木の根を掘って枯らしたり、サツマイモ畑を全滅させたり。高齢化が進む島の農家の被害は深刻だ。

 昨年11月下旬、愛媛県今治市の大島近くの海で、釣り船の船長、赤松美佐男さん(42)=広島県尾道市=は、思わぬ光景を目にした。海面にとがった鼻先を突き出してスイスイと泳ぐ3頭のイノシシ。釣り船を始めて十数年、海を渡るイノシシは初めてだ。網でつかまえようと追うと、巧みにターンしてかわされた。数百メートル離れた大島の浜へ上陸すると、山の中へ姿を消した。「泳ぎはものすごく達者だった」と赤松さん。




 今治市によると、大島では5年ほど前からイノシシが出現し、特産の温州ミカンなど果樹の枝を折ったり、実を食べたりする農作物被害が出始めた。昨年度のかんきつ類の被害額は約300万円。この5年で3倍に増えた。駆除した頭数も、2005年度に7頭だったのが、今年度は10月までで81頭を数えた。

 近くの大三島でも昨年度、かんきつ類に約1千万円の被害が出た。全長1万メートルを超す防護柵で集落を囲った地域もある。

 被害は、瀬戸内海の東側でも出始めた。

 香川県の小豆島では昨年、初めてイノシシを捕獲した。今年に入ってオリーブ畑が掘り返されたり、タケノコが食べられたりする被害が増え始めた。小豆島の西約10キロの香川県直島町の直島では今春から秋にかけ7件の目撃情報が相次いだ。町は今月中にも箱ワナによる捕獲に乗り出す。

 島はどこも高齢化が進んでいて、対応に悩んでいる。

 人口600人ほどで、65歳以上が65%に達する尾道市の百島(ももしま)。

一人暮らしの女性(83)は今年、ミカンの木9本のうち2本の根元を春先から繰り返し掘られ、枯らされた。「甘いミカンが一番たくさんなる木じゃった。他の木もイノシシやカラスに一つ残らずミカンを食べられ、涙が出た」

 島ではこの夏、60~70代の有志十数人が駆除班を結成し、約30カ所にワナを仕掛けたが、捕獲できたのはまだ数頭。区長の一人、旗手(はたて)牧雄さん(72)は「怖がって農業をやめようかというお年寄りも多い。これ以上増えたら、島はどうなるのか」と話す。

 尾道市の担当者は「島の過疎化や高齢化が進んで山が荒れ、耕作放棄地も増えた。絶好のすみかになっているのではないか」と指摘する。

 イノシシたちはいったい、どこからやってきたのか。

 1980年ごろからイノシシが出没していた広島県大崎上島町の大崎上島では、「本州側から泳いで渡ってきた」「飼育されていたのが野生化した」などの諸説があるという。瀬戸内しまなみ海道の橋で結ばれている島々では、港や海岸に泳ぎ着くイノシシの目撃情報が多い。今治市の担当者は「最も広島県寄りの島から被害が始まったことなどから、広島から海を渡ってきたと考えている」と話す。小豆島では、島の南側の海を泳ぐイノシシがよく目撃されている。対岸の四国側の岬から島の南端まで最短で約6キロで、四国から渡ってきた可能性も考えられるという。





大崎上島では、今年はミカンは不作
猪も、食べるものがなくなると、人家の近くに出没するようになる。
好物は、蝉の幼虫や、ミミズだそうだ。
山にある排水溝や、島の環状道路などにある排水溝の落ち葉が、見事にめくりかえっいたことを知った。
犯人は猪で、ミゾにある落ち葉の中で食べるものがないか、かたっぱしから、掃除をしてくれるそうだ。

夜行性だから、暗闇の中にうごめく巨体を見ると怖くなる。
学習能力も高く、縄にはめったにかからない。
体重が80キロクラスもいるそうだから、セットポインターなどの猟犬だと相手にされない。

進入を防ぐ鉄の柵や電気柵を、島の畑で発見するのは、珍しいことではない。
猪のほった原因で裏山から石が落石してくる、山に穴が空くのは、困ったものだ。

困ったことに、イノブタだろうから、繁殖力は極めて高い。
うろ覚えでは、昨年の猟友会などが捕獲した猪は、850頭程度だったそうだから、いったどれだけの猪が島にいるのだろうか?
海に泳ぐだろうことは、シカなど目撃されていたからおそらくそうだろうと推測されていたけれど、実写を見ると泳ぎは得意なのは、間違いないだろう。

彼等にとって唯一の天敵である人間も、年寄りばかりだと、敵にはならない。
猪にとって地上の楽園であることは、まぎれもない事実だ。

猪のお食事のために、限られた時期でしか収穫できない農作物を一瞬にして食い荒らす猪の罪は重い。

猪と住民の生存権を賭けた戦いは、早期に決着をつけないと、彼等の繁殖力が高いため被害は拡大するだろう。

大変な時代だ。

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